ウェブ進化論と大学生20歳

さて、梅田望夫さんのウェブ進化論を読み終えた。私は、とびきり優秀な人材とはとても言えないが、まだ20歳で若い世代に分類されると思うので、そういう人間が、この本を読んでどう思ったか、なんとか書いてみようと思う。

この本の内容にからめて、少し自分のコンピュータ史みたいなものを調べてみよう。中学生になる1998年にWindows98が登場する前後に初めてコンピュータを親に買ってもらった。そのころ熱中したのは窓の杜などで紹介されているフリーソフトウェアを片っ端から試してみることだった。フリーソフトウェアにはずいぶん感謝したし、おかげでコンピュータを使うのが楽しかった

このあたりの自分は、基本的に「ネットのこちら側」で生活していたと言える。そりゃ、「こちら側」代表のマイクロソフトの世界にどっぷりだったわけで、当然そうなる。ここでウェブ進化論的見方をして、「不特定多数無限大なものへの信頼」はもっていたかってことを考えてみる。実際、「不特定多数無限大なもの」なんてことを、そのころに意識することはなかっただろう。でも、フリーソフトをはじめ、いろんなおもしろくて使えるものがネットの先にはあって、それが自分の要求にちゃんと答えてくれるってことは理解していたと思う。

さて、高校生の真ん中あたりにはメインで使う検索エンジンは、Googleに変わっていった。ググれるようになると、だいたいの情報、とくにコンピュータ技術に関する情報はWebから大概とりだせることがわかった。「ネットのこちら側」の仕事をするために「ネットのあちら側」の助けをかなり簡単に受けれるようになった。有名で「主要」なWebサイトに頼らなくても、使える情報にアクセスできるようになった。私の、「こちら側」の作業はずいぶんやりやすくなった。とりあえず、ググれば良い。

私がGoogleを使い始めてから現在に至るまでに、「ネットのあちら側」でずいぶんいろいろな事が出来るようになってくる。しかし、この意味について、ウェブ進化論を読むまで理解できなかった。私には「あちら側」で展開される「不特定多数無限大」が引き起こす現象が、つまりはWeb2.0が何たるかが見えなかったのだ。これは、私個人のコンピュータ史の起源が「こちら側」中心だったために、「あちら側」に対して鈍感になってしまっていたのが原因の一つかもしれない。

しかし、その本質こそ理解していなかったものの、私自身の重心は「あちら側」にずいぶん傾いていたと思っている。Webの世界に身を任せれば自然なことだろう。「不特定多数無限大なもの」を受け入れるということは(フリーソフトウェアやそのうちに使いだしたLinuxなどを通じて)当然のことだと考えることができた。

こんな風に見ると、「こちら側」の整備はほとんど済んでいて、「あちら側」の世界も変化の準備を済まそうとしていた、そして、ついに「あちら側」の変化が実際に現れはじめた、そんな中を生きてきたと言えそうだ。つまり、「こちら側」中心から「あちら側」中心への変化の中でずっと過ごしてきた。

ところで、ウェブ進化論では、時代の大きな変化について以下のように言っている。

ビル・ゲイツは1955年生まれ、グーグルのラリー・ページとセルゲイ・ブリンが1973年生まれ。思考実験として、18年周期で世代交代が起こるのだと仮定すれば、次に期待すべきは1991年生まれということになる。

これは、仮定ということで当てにはならないだろうけれど、1991年生まれという線はなかなか悪くなさそうだ。きっと今、中学生になったばかりの子のなかにはコンピュータが楽しくてたまらないという子がたくさんいるだろう。彼らは、はじめからGoogleという道具を持っている。そして、まさにWeb2.0がはじまるこの瞬間からスタートできる。私が、中学生の頃から、今までの間にコンピュータとWebの世界をいろいろと経験してきたのと同じだけの貴重な時間を、あたらしいWebの世界の進行と同時に歩んで行けるんだ。

この部分を読んで、考えたときに、1985年生まれの自分は、1991年生まれは、なんて恵まれているんだとずいぶんくやしくなった。それは冗談にしても、どうにかこの自分自身でも、ブレークスルーを起こせないか。ここで自分がこれから何をしてWeb(そして、それを通じて1991年生まれの、きっと何かをしでかすコンピュータ野郎)に貢献すれば良いかってことは真剣に考えないといけないと思った。

とりあえず、相当長くなった*1のでいったんこのへんで。じゃあ、今の自分はこれから何をすることがベストなのかってことをじっくり考えて、そのうち書きたいと思う。

*1:だれが読むんだろうねこんな長いの